先日読んだ
白洲正子さんの本の中に
青山二朗さんの作品集の一節が紹介されており、その文に心が留まりました。
それが次ぎ紹介する文です。
日本人の眼は昔から鑑賞陶器では納まらなかったから、物の姿や形を我が人生と観て、活用の途を工夫し、眼といふものが物をぱくぱく食はずには置かなかった。……見れば解かるという物は先づそれっきりの物だが、これこそは人が物を人格にまで高めて眼がそこから学ばなければならない暮しである。

焼き締め土瓶セット高田雅楽作 
日本人の眼というより、日本人が物をとらえる心の眼というものがどれほど繊細で、他の国の人にはない感性を古来よりもっていたのかを、改めて思う一節でした。
日本人は眼で見て、心で見る。
耳で聞いて、心で聞く。
肌で感じて、心で感じる。
秋風にゆれるすすきを見て、はらはらと舞う枯葉を見てもののあはれを思う。
松に吹き流れる風の音を聞いて、悠久を思う。
そんな心があるから、茶道という学びの世界が生まれ、大切に受け継がれてきたのでしょうか。

「高山寺赤絵抹茶茶碗」 山岡善昇 作日本人に生まれてよかったと改めて思います。
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